私は幼少期の頃より多分に神経質な性格でした。例えば授業の時に、本読みを当てられる事が非常に嫌でした。何故かと言うと、当時かなりの吃音があり、そのことを馬鹿にされるのがとても恥ずかしいことだと思っていたからで、とにかく自分の弱みは見せたくないと言う小心者でした。

 

神経質症の発症は18歳のときでした。徹夜の試験勉強で過労が重なり心臓が急劇に早く脈を打ち始め安静にしていてもいっこうに収まる気配がありません。後日、専門医に診てもらい、それは過労から来る一過性の頻脈で特に心配する事はなかった事を後から知るのですが、たまたまその時に連れて行かれた病院には運悪く循環器の専門医がおらず、過剰な処置を受けた挙句 “入院してもらって様子を見ましょう”と言う医師の言葉で一気に死の恐怖に取り付かれてしまいました。入院中は強い死の恐怖からほとんど寝たきり状態となり、心身ともに衰弱しきっていました。その後3週間でなんとか退院したものの、不安からくる呼吸のし過ぎ(過換気症候群)、乗物恐怖、不眠等、体に出るあらゆる症状を経験しました。

 

何とか就職はしたもののこのような状態で仕事ができるはずがありません。そのうち人生の落ご者となり、将来まともな生活が送れないのではないかと真剣に悩み、冷静に考えた結果、意を決して精神科を受診することを決断しました。そこで幸運にも、その病院の副院長でありながら生活の発見会の顧問であられた今は亡きK先生に出会う事が出来ました。

 

そして先生から“同じ様な悩みを抱えて苦しんでおられる方が他にも大勢いらっしゃって、その方たちが次々と立ち直られていかれていると言う事実”と “私自身も対人恐怖の体験者であり森田療法の学習で良くなった事”、そして“この森田で言う神経質症は精神病ではないので、病院に来るよりも、森田療法の学習会である”生活の発見会“に出席して勉強した方が良い”とのアドバイスをいただきました。この時初めてこの苦しみが自分だけの特別なものではないと言う事、そして必ず治るものであると言う事を知り、非常に強い共感を覚え、これで自分も救われるのではないかと言う期待が込み上げてきた事を鮮明に覚えています。 

 

その後も症状は続き、不安神経症に加えて本来持っていた強迫的症状も出てきましたが、生活の発見会で森田理論を勉強し先輩から様々なアドバイスを受けて、学んだことを理論としてしっかり受け止め、それを実践すると言う“学習と実践の繰り返し”で少しずつではありますが良くなっていきました。今振り返ると、発見会で学んだおかげで、結婚、転職、子育てと何とか順調に生活できていることに深く感謝しています。