私が最初に不安にとらわれたのは中学生の時でした。国語の男女本読み競争のようなこととをさせられ、負けたら体罰を行う先生でした。そこで間違ったらいけないとドキドキして息苦しくなったのを覚えています。その後はなんとかやりすごしていましたが、大学生になったときに、やはり発表から逃げたくなり、それがだんだんと電車に乗っているときにいたたまれないような不安に変わっていきました。その時に初めて神経科を受診して薬をもらいました。

 

就職試験も受けましたが、貧血もあり実家に帰り、家事手伝いという名目で過ごしていましたが、数年経つと結婚が当たり前という流れの中、少しの不安を隠して結婚に踏み切りました。症状を意識することなく子育てをしていたのですが、車で実家から帰るときに雪渋滞に巻き込まれ、大した距離でもないのに動悸が始まりとうとう引き返し、その夜は実家に泊まりました。それをきっかけにいろんな場面で不安にとらわれだし、行動が狭くなりました。歯科医院も美容院も母と予約を合わせて行くことしかできなくなり、やりくりをいつも考えていました。一番ひどいときは家に一人でいるのも怖く、スーパーのレジに並ぶのも辛く、できないことが増えていきました。

 

これではいけないと母に付いてきてもらい病院通いが始まりました。しかし毎回血液検査をされ眠くなる薬をもらうだけでした。自分でもこれでは根本的に治らないと感じていました。そのころ立ち寄った書店で長谷川先生の本を手に取り、なにか自分に似た症状が書いてあると購入し一気に読みました。これが生活の発見会との出会いでした。巻末に発見会の連絡先がありすぐに会員になり発見誌をとるようになりました。毎月届くのが楽しみで、特に重い症状から立ち上がった人の体験記には励まされました。その他の森田関係の本も取り寄せて読みましたが、自分で理解するには限界があり集談会に参加してみようと思いました。しかしその当時暮らしていたとこからは遠く一年後にやっと車に乗せてもらって参加できました。

 

ドアを開けるのには勇気が要り、入ってみれば場違いなほどみなさん明るく元気で圧倒されました。個人面談では涙なくして語れませんでしたが、自分の症状を詳しくさらけ出せたのはここが初めてでした。頑張って続ければ楽になるよと言われたのは本当に心強かったです。

 

休まず参加したかったのですが、どうしても夫の仕事の都合であきらめる月もありました。そこであるとき勇気を出して娘を乗せ自分の運転でたどり着きました。帰りに二人で当時田舎にはなかったマクドナルドに寄ったときは本当に嬉しかったのを覚えてます。集談会に参加しだしてからは病院通いも薬も辞め、会では役を引き受けよい経験になりました。一人でなければ旅行も行け軽いパートを始めたり生活の幅が徐々に広がり始めました。

 

そんな中、森田の学習も進み分かったような気になっていましたが、今から思えば自分の都合を家族に押し付け気分次第で動かそうとしたり、勝手な行動をとっていました。ある時そんな母親に対する子供の反抗で自分の偏った部分を知らされたり、再度ひどい落ち込みを経験したり簡単ではありませんでした。それでも集談会からは離れず修正を繰り返し、少しずつ進歩したように思います。

 

子供の時から神経質な性格で家庭環境や世間体を気にする時代などいろんな要因が重なり症状に陥りました。そして自分の理想と現実の自分の落差に気づかず、努力もしないで何かを得られると勘違いしていました。この年になり恥ずかしいこともさらけ出すと楽になるとわかり、人との会話も楽しめるようなりました。

 

参加し始めて30年近くになろうとしています。中には症状があってよかったなんて言える人もありますが、私にはそんな時は来そうにありません。しかしつい傲慢になりそうな私にストップをかけているのは症状かもしれません。そして他では得られない仲間ができ、なんとか日常を過ごせているのは発見会のおかげです。