幼少期より運動音痴ですぐ乗り物酔いをするなどどちらかというとやや虚弱な子供でした。気も小さくちょっとしたことで動揺し頭が真っ白になってしまいがちないわゆるだめな子供でした。

 

大学を卒業後23歳、東京で法律関係の事務所に勤めていたときでした。映画を見ていたときに身体がグラグラ揺れる感覚に襲われ強い恐怖心を感じました。その後「頭がおかしくなるのではないか」という発狂恐怖に見舞われるようになりました。その時期は仕事・資格取得の勉強とかなりハードな日々を送っていました。さらに1年後、インフルエンザに襲われ5キロ程体重を落とし事務所にも迷惑を掛ける(1か月以上休んだ。)ということで実家へ帰りました。その後体力は回復しましたが、鬱状態、発狂恐怖に断続的に襲われるようになりました。

 

5811月頃書店で「森田式精神健康法」という本を見つけ吃驚仰天しました。全く自分のことが書いてあると思い、早速「生活の発見会」に入会しました。そして、発見誌・森田関係図書を貪るように読みました。集談会に参加し学習するなかで「なすべきをなせ」ということが核心だということを強く感じ、日々目の前のことを実践するよう努めました。

 

生命保険会社の営業をやり始めていたので、毎日飛び込み訪問10軒、20軒、後には100軒とか休み休みですがやっていきました。45年程すると鬱状態・発作がかなり収まってきました。そして結婚し内勤職員となり転勤族となりました。バブル崩壊後の金融危機が起き、銀行・証券会社・生保等が多数倒産する事態となりました。その時、業界全体および会社でも退職勧奨が広くなされたのですが、40代となりやはり営業に向いてないなという気持ちも強くなり退職しました。その後、姫路で不動産会社の営業職についたのですが、あまり販売することができず2社に勤めましたが退職しました。不動産会社の飛び込み営業はかなりハードなものでした。体力的な限界を感じ事務系の職を求めたのですがうまくいきませんでした。

 

その間に再び発狂恐怖の発作が起きるようになりました。不動産会社でのハードワークが根本原因で、就職が上手くいかない不安等が重なって起きたのではないかと思われます。その後ある資格を取りもう一つの資格も兼ねて独立開業しました。

 

この頃から姫路集談会に参加させていただくようになりました。諸先輩がたのアドバイスをいただきながら森田理論を学習し56年で発作は収まってきました。私としては「なすべきをなせ」ということが一番重要なことかと思っています。しかし、実際にはこれがなかなか難しく、強い症状に襲われ実行に踏み出せなかったり的外れなことをやってしまったりということが多いのが実態だろうと思われます。つまり、やり過ぎず、またやらなさすぎずバランスよく他人との調和も計りながら実行していくということが重要なのだろうと思われます。

 

かく言う私は、現実にはあわて者で自分だけばたばた勝手なことをやってしまうことの多い人間です。(私には、躁鬱傾向及びアスペルガー的気質があります。)還暦を迎えた今でも、時々人間関係で摩擦を起こしているのが現実です。しかし今、「生活の発見会」に入会し学習することで強い症状もなくなり、集談会の皆さんに支えられ日々安心して生活できていることを深く感謝しています。

 

集談会に参加することは、極めて重要です。書籍を読むだけでは独りよがりの認識・判断になってしまいがちです。諸先輩や他の会員の生の話を聞くことで正しい理解が深まります。そして何より自分と同じ性格で同じ体験した仲間が理解してくれるということは重要です。自分だけがおかしくて自分だけが苦しいのではないということが分かることでひじょうに大きな安心感を持つことができるからです。つまり、「生活の発見会」は、精神的な面で会員同士がお互いをお互いに理解し支え合える場なのです。